文学館について


設置の目的

文化勲章受章者でいわき市の名誉市民でもある詩人・草野心平(くさのしんぺい 1903・988)の業績を末永く顕彰するとともに、詩を中心とする文学研究成果の公表や情報交換のできる生涯学習施設として、また文学・芸術活動を通しての市民の交流の場を目指します。
1998(平成10)年7月19日、心平の故郷である福島県いわき市小川町に開館しました。

施設の概要

いわき市小川町の雄大な自然に囲まれた山腹に立地しています。アトリウムロビー正面から一望できる阿武隈山系は、心平が16歳まで暮らした故郷の情景です。館内には常設展示室をはじめ、企画展示室、アートパフォーミングスペース、文学プラザ、小講堂等があり、文学を中心とした様々な事業を展開しています。また、7、8月の土曜日は20時まで開館(入館は19時30分まで)し、サマーナイトコンサート等、多彩な催しを開催しています。
 敷地面積 約25,858.51㎡
 延床面積 2,194.03㎡
 鉄筋コンクリート平屋建て
 常設展示室 474.16㎡
 企画展示室 111㎡
 アートパフォーミングスペース 78.5㎡
 文学プラザ 130㎡
 小講堂 182㎡

  いわき市立草野心平記念文学館のご利用については、こちらへ。

館内見取図




受賞

ディスプレイ産業優秀賞 display of the year 1999 通商産業大臣官房商務流通審議官賞
第18回 福島県建築文化賞優秀賞(2000年1月18日)

文学プラザ

文学プラザには現代詩関係の図書と、雑誌を排架しています。
 ・文学プラザのご利用は無料です。
 ・排架図書については自由に閲覧できます。
  ・資料の館外貸出は行っていません。
 ・資料の複写は可能(有料)です。

来館者による詩作

文学プラザには原稿用紙を用意しており、来館者が自由に詩作できます。
作品は文学プラザで保存され、後日(約1ヶ月後)、文学プラザ内のタッチパネルで画像を閲覧することができます。作品は作者のお名前、作品名で検索できます。
文学プラザで詩を書かれた皆さん、ご自分の作品に会いにいらしてはいかがでしょうか。

情報の検索

文学プラザ内のタッチパネルでは、様々な情報を検索できます。
 ・草野心平エピソード
 ・草野心平の作品に見られる動植物たち
 ・草野心平ゆかりの人々
 ・草野心平ゆかりの地
 ・いわきの文学者
 ・来館者の作った詩(来館者の作られた詩は、作品名及び作者名で検索できます)

草野心平の生涯


 草野心平(くさのしんぺい)は、1903(明治36)年5月12日、福島県石城郡上小川村(現在のいわき市小川町)に父馨、母トメヨの二男(長女綾子、長男民平、心平、三男天平、二女京子)として生まれ、祖父母のもとで育ちました。幼い頃から腕白でひどく癇が強い子どもだったようです。本を食いちぎり、鉛筆をかじり、誰かれとなく噛みついていた幼少期を、心平は、故郷の阿武隈山系に見られる大花崗岩のように「ガギガギザラザラ」だったと描写しています。
 1919(大正8)年、県立磐城中学校を中退、上京した心平は、翌年、慶応義塾普通部に編入。そして1921年、中国、広東省広州の嶺南大学(現・中山大学)に留学しました。この時、16歳で夭折した長兄民平の遺品である3冊のノートを持参。そこに書かれていた詩や短歌に触発され、心平は詩を書き始めます。あまりに盛んな詩作に、同級生から「機関銃(マシンガン)」と呼ばれました。留学時代、心平は青春を謳歌するとともに詩人としての第一歩を踏み出したのです。
 1923年夏、帰省した心平は亡兄との共著詩集『廃園の喇叭』を、母校の小川小学校から謄写版を借りて印刷します。1925年には、同人誌「銅鑼」を創刊。宮沢賢治、黄瀛らが同人でした。
 同年、卒業を待たずに帰国してからの心平は貧困の中、新聞記者、屋台の焼鳥屋、出版社の校正係等で生活の糧を得ながら30回以上の引っ越しを繰り返しました。1928(昭和3)年、結婚後間もなく移り住んだ前橋では、明日の食べ物のあてもないという貧窮ぶりでしたが、同年、初の活版印刷による詩集『第百階級』が世に出ました。
 心平は「蛙」をはじめ「富士山」「天」「石」等を主題にして詩を書きましたが、その根底には「すべてのものと共に生きる」という独特の共生感がありました。さらに書、画等、多彩な創作活動を展開しています。自身の歩みを「ジグザグロード」と表現したように、創作活動の一方で様々な職業に就きました。戦後、故郷の小川郷駅前に開いた貸本屋「天山」、居酒屋「火の車」とその後のバア「学校」等、その逸話には事欠きません。1935年、創刊に参加した同人詩誌「歴程」は587号(2013年12月現在)を超えて現在も続いており、高村光太郎、中原中也らをはじめ、そこに心平の広範な交友関係を垣間見ることもできます。それらが渾然一体となって心平の魅力を生み出していると言えるでしょう。
 1988年11月12日、1,400篇余の詩を残し、心平は生涯を終えました。


 1960年 川内村名誉村民に選ばれる
 1975年 日本芸術院会員に推輓される
 1983年 文化功労者に選ばれ
 1984年 いわき市名誉市民に選ばれる
 1987年 文化勲章受章










草野心平 1977年(小林正昭撮影)

主な詩集


 『第百階級』1928年11月 銅鑼社
 『母岩』1935年12月 歴程社
 『蛙』1938年12月 三和書房
 『絶景』1940年9月 八雲書林
 『富士山』1943年7月 昭森社
 『大白道』1944年4月 甲鳥書林
 『日本沙漠』1948年5月 青磁社
 『牡丹圏』1948年6月 鎌倉書房
 『定本 蛙』1948年11月 大地書房
 『天』1951年9月 新潮社
  『亜細亜幻想』1953年9月 創元社
 『第四の蛙』1964年1月 政治公論社無限編集部
 『詩画集富士山(棟方志功板画)』1966年6月 岩崎美術社
 『こわれたオルガン』1968年11月 昭森社
 『太陽は東からあがる』1970年6月 弥生書房
 『凹凸』1974年10月 筑摩書房
 『蛙の全体』1974年11月 落合書店
 『全天』1975年12月 筑摩書房
 『植物も動物』1976年12月 筑摩書房
 『富士の全体』1977年6月 五月書房
 『原音』1977年12月 筑摩書房
 『乾坤』1979年3月 筑摩書房
 『雲気』1980年3月 筑摩書房
 『玄玄』1981年3月 筑摩書房
 『幻象』1982年3月 筑摩書房
 『未来』1983年3月 筑摩書房
  『玄天』1984年4月 筑摩書房
 『幻景』1985年4月 筑摩書房
 『絲綢之路 シルクロード詩篇』1985年12月 思潮社
 『自問他問』1986年6月 筑摩書房

いわきゆかりの文学者


草野天平

草野天平(くさのてんぺい)は、1910(明治43)年2月28日、東京市小石川区(現在の文京区)に父馨、母トメヨの三男として生まれました。草野心平は7歳年上の次兄にあたります。1915(大正4)年、本籍地である福島県石城郡上小川村(現在のいわき市小川町)に移り、祖父母に育てられていた心平とともに約5年間暮らしました。
1920年に上京後、京都、群馬などを経て、1933(昭和8)年4月、東京の銀座8丁目に喫茶店「羅甸区(らてんく)」を開店。同店で働いていた三原ユキと結婚し、1935年には長男杏平が生まれますが、この間に「羅甸区」は閉店となり、生活に困窮します。天平はこの頃から文学に興味を抱き、心平が持参した岩波文庫などを耽読。1941年頃から詩作を始めたとされています。
1942年1月、妻ユキが亡くなると、幼い杏平を連れて故郷に帰り、雑誌などに作品を発表。1947年に詩集『ひとつの道』を刊行しました。
1950年6月、天平は滋賀県大津市坂本の比叡山に行き、8月には飯室谷の松禅院(しょうぜんいん)への入居を許されて、詩作に専念する生活を送ります。同年10月、鈴木梅乃と結婚。梅乃は天平とその詩作を支えましたが、天平は徐々に体調を崩し、1952年4月25日、詩業半ばにして生涯を終えました。享年42。天平は、松禅院にほど近い、琵琶湖が見える西教寺に眠っています。
天平が亡くなった後、梅乃は天平の作品の顕彰を続け、1958年に刊行した『定本 草野天平詩集』が第2回高村光太郎賞・詩部門を受賞。その後、1969年、『定本 草野天平全詩集』『《挨拶》草野天平の手紙』、2002(平成14)年、『《三重奏》草野天平への手紙』などを刊行しました。
一方、1986年、かつて天平が滞留した比叡山西塔に、詩碑〈弁慶の飛び六法〉を、そして2006年、草野心平生家敷地内の蔵跡に詩碑〈幼い日の思ひ出〉を建立しました。また、2002年、「うえいぶの会」による詩碑〈一人〉(文学館敷地内)の建立に協力しています。
2006年7月30日、梅乃は半世紀余りに及ぶ顕彰活動とともに85年の生涯を終え、天平に寄り添うように西教寺で眠っています。

猪狩満直

猪狩満直(いがりみつなお)は、1898(明治31)年5月9日、福島県石城郡好間村(現在のいわき市好間町)川中子に生まれました。私立磐城青年学校中退後、19歳頃から聖書研究と文学に傾倒し、義父との確執が表面化しました。
満直は、1917(大正6)年初夏の頃、好間村の菊竹山に三野混沌を初めて訪ね、二人の交友は生涯続きました。1922年、満直は妻木泰治らと詩誌「播種者の群」を創刊。同誌には、混沌の他、中国に留学中だった草野心平も参加しました。
1925年4月1日、満直は、妻タケオと長女百合子、長男眞と共に、北海道釧路国阿寒郡(現在の釧路市阿寒町)舌辛での開墾生活に入りました。間もなくタケオは肋膜炎を発病し、翌年9月16日、25歳で亡くなりました。1927(昭和2)年4月、小沼たかと再婚。満直は、開墾の出来ない積雪期には、炭焼きや馬橇での木材運搬・雄別炭鑛での仕事をしながら詩作を続け、北海道からいわき地域の詩誌への寄稿を続けています。
満直の第一詩集『移住民』(銅鑼社)は、1929年8月に刊行されました。この詩集の原稿は、北海道の満直から、好間村の混沌、前橋にいた心平に送られ、静岡の杉山市五郎が印刷しました。『移住民』には全国的な反響があり、鹿児島の詩誌「南方詩人」が特集号を発行しています。
1930年12月、満直は、8町2反の開墾地と馬を手放し、郷里に戻りました。1931年3月に『農勢調査』(海岸線社)、1934年2月に『秋の通信』(北緯五十度社)を刊行。内郷村(現在のいわき市内郷)、長野県飯山町(現在の飯山市)での生活を経て、気管支ぜんそくが悪化したため生家に戻り療養生活を送りますが、1938年4月17日、満直は40歳の生涯を終えました。
※満直の生家は、いわき市暮らしの伝承郷に移築されています。




吉野せい

吉野(よしの)せいは、1899(明治32)年4月15日、福島県石城郡小名浜町(現在のいわき市小名浜)下町に生まれました。旧姓は若松です。少女時代から文学に傾倒し、伝道師として平に赴任していた詩人の山村暮鳥らの「LE・PRISME」、「福島民友新聞」などに短歌や短編を発表。また、独学で小学校准教員検定に合格し、2年ほど小学校に勤務しました。その後、鹿島村(現在のいわき市鹿島町)の八代義定の書斎「静観室」に通い、多くの文学書、思想書、哲学書を読んでいます。
1921年3月、詩人の三野混沌(本名=吉野義也)と結婚。せいは、それまで書いた原稿や日記をすべて焼いて、好間村(現在のいわき市好間町)北好間の菊竹山での開墾生活に入り、梨や自給自足の野菜を作りました。1930年3月に生まれた二女梨花(りか)は、その年の暮れ、急性肺炎で亡くなりました。せいは、翌年1月から、梨花への想いを日記に綴り、小説や童話を数編執筆しています。
1970年4月10日、混沌が亡くなりました。草野心平の強い勧めもあり、せいは71歳になって、再びペンを執りました。1970年から2年間、いわき市内の夕刊紙「いわき民報」に「菊竹山記」と題して、断続的な連載をしています。
1971年10月、暮鳥が混沌に宛てた書簡を軸とした評伝『暮鳥と混沌』(歴程社)を刊行。1974年11月、『洟(はな)をたらした神』(彌生書房)を刊行。翌年、同書により、第6回大宅壮一ノンフィクション賞と第15回田村俊子賞を受賞しました。
1977年4月、『道』(彌生書房)刊行。前年11月から、せいは、綜合磐城共立病院に入院していましたが、この年11月4日、78歳の生涯を終えました。


三野混沌

三野混沌(みのこんとん)は、1894(明治27)年3月20日、福島県石城郡平窪村(現在のいわき市平下平窪)曲田に生まれました。本名は吉野義也(よしのよしや)、一時、別筆名・台原扶を使いました。
混沌は、磐城中学校卒業後、家業の農業に従事。この頃、伝道師として平に赴任していた詩人の山村暮鳥(やまむらぼちょう)との親しい往来が始まり、その交友は1924(大正13)年に暮鳥が没するまで続きました。
1916年1月、好間村(現在のいわき市好間町)北好間の菊竹山で開墾を始めた混沌は、翌年、猪狩轍弥と「農夫」を創刊、昭和戦前までにいわき地域で発行された詩誌の中心人物となりました。1917年には、好間村川中子の猪狩満直が初めて混沌を訪ねています。一時、上京して早稲田大学高等予科で学んだ混沌は中退して菊竹山に戻り、1921年3月、若松せいと結婚。本格的な開墾生活に入り、梨と自給自足の野菜を作りました。
1927(昭和2)年、混沌は3月に詩集『百姓』(土社)、4月に『開墾者』(土社・銅鑼社)を刊行。1930年12月、この年3月に生まれた二女梨花(りか)を急性肺炎で亡くした混沌は、翌年1月、詩「梨花(リーコ)」を書いています。
戦後、農地委員会小作委員となり東奔西走した混沌は、1947年7月、草野心平らの詩誌「歴程」同人となり作品を発表。1954年7月、『阿武隈の雲』(昭森社)を刊行しました。
1970年4月10日、混沌は76歳の生涯を終えました。混沌の没後、せいが執筆した『暮鳥と混沌』『洟をたらした神』『道』には、夫妻の生活が描かれた作品も収められています。



いわき市立草野心平記念文学館ボランティアの会


いわき市立草野心平記念文学館ボランティアの会とは

いわき市立草野心平記念文学館ボランティアの会は、文学館でのボランティア活動を通して、利用者の文学への理解と関心を深めるきっかけをつくるための団体です。

主な活動

朗読サロン
 毎月、会員が講師を務め、楽しく朗読を学んでいます。

文学散歩
 文学館や文学ゆかりの場所などをめぐる小旅行を実施します。

居酒屋「火の車」一日開店
 草野心平が経営していた居酒屋「火の車」開店日にちなんだ催しを実施します。

催事運営のお手伝い
催事の進行補助や来館者の誘導、案内をするほか、クリスマス絵本コンサートでサンタクロースに扮して子どもたちにプレゼントを渡したりします。

会員募集

文学館ボランティアの会では、新規会員を募集しています。
興味のある方は文学館までご一報ください。
ボランティアの会よりご連絡をさし上げます。

お問い合わせ

文学館ボランティアの会 涌井正水会長 ご連絡はまずは文学館まで。




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